シベリア抑留

予想より早く実験が一区切りつき、次の仕事内容も準備を整えた。体調に不安を感じて予定を早めて帰省。週末はそれでも予定されていたスケジュールと想定外の急用*1で休養になってない。比較的涼しい都内でも4時間以上眠れない。
眠れぬ夜に本を読んだ。60年前に日本は降伏し、太平洋戦争は終結したのだが、満州にいた祖父は内地には帰って来れなかった。戦争が終わってからさらに4年間、終戦当時28だった祖父はシベリアに抑留されていた。モンゴルとカザフスタンの国境に近いアルマアタ、カラガンダにそれぞれ2年間。当時の生活を一冊の本として彼は12年前にまとめてあり、他界した今でもどのようなものだったのかの片鱗を窺い知ることができる。劣悪な労働条件の中、栄養失調でいのちを落とすひとも多く

失調者の死亡位呆気ないものは無い。死期の近くなった者は体温が下がってくるらしく、虱が移動を始めるので判る。こうなると大体次の日には静かに臨終を迎え

ていたらしい。文章化されてはいないが、小学生くらいのときに当時のようすを直接聞いたおぼろげな記憶が蘇ってくる。

昨日一緒に働いて隣に寝た人が次の日に起きてこないんだ。

祖父は頑健な体ともちろん運のおかげもあるのだろうが帰国することができ、それで娘が生まれ、その娘が母になり、孫の自分がいる。

*1:本質的にはうれしい話